キリスト教と浅からぬかかわりを持ちながらも、キリスト教の「正史」からは見落とされてきた人物のたどった歩みを通して、キリスト教の多様な側面を考えるシリーズです。
勝海舟と福澤諭吉は、両者とも、若い時に貧困の中で洋学を学び、欧米文明の衝撃に啓発され、幕末から明治への展開に大きく貢献しました。彼らは軍艦、大砲、汽車、電信といった西洋の物質文明ばかりでなく、欧米の人間を精神的に支えている宗教とくにキリスト教にも、実は一般に知られているより遙かに深い関心を持っていました。海舟は米国人宣教師一家と親交があり、彼の三男梅太郎は宣教師の娘クララと結婚しています。諭吉も来日宣教師に好意的で、一時は慶応義塾に神学部を設けようと考えていたことが、残された史料の研究によって明らかになっています。しかし彼らのキリスト教へのアプローチが何処まで内面的な信仰と言えるものであったかは疑問で、内村鑑三や植村正久は福沢の宗教観を厳しく批判しています。
にもかかわらず、明治の時代に大きな影響力を持った指導者たちが、私たちの予想を遙かに超えて真剣にキリスト教と対峙した事実と、彼らの宗教観を批判した内村や植村によって日本の神学研究が本格化し、その信仰が深まった過程を知ることは、日本の宗教的風土の特質を知ることにもつながるはずです。多くの方のご参加をお待ちしております。